熱応力 絡めて 絡まって。 心も 居場所も 絡め取られたのは どちらの方。 眼下に広がる草原を見やる。城塔の上から見下ろすその景色は冬でもないのに寒々としていた。 死んだ土地。 誰がそう呼んだのか、比較的豊かな土地に囲まれてこの地だけは枯れ地だった。 西涼と中原の境に位置していた、本来自分たちがいるべき場所。今はもう遥か遠くこの視界に捉えることは出来ないその土地が無性に懐かしくなるのは、あまりに転戦を繰り返しすぎたからだろうか。 戦って、命を削り合って。その中で生まれる仲間意識は、本当はなにひとつないのかもしれない。今も自分は主であるはずの呂布とは別のことを考えている。 眼下の草原。何もないはずの死に地。そこに息づく人の気配、戦意、圧迫感。 包囲された。 もういくらか前から、形勢ははっきりしていたのだ。それを目の当たりにしたのは敵方が本気になったから。あの曹操という男は容赦を知らない。こうと決めたら何が何でもその道を貫くのだ。 その辺りは呂布に似ているとも思う。ただ違うのは思慮深さと、臣を自分の下に留め置く能力。そして何より、人間の器。 勝てるはずがないと、それはいつも魏続がごく身近な人間にだけ呟いていたことだった。呂布に聞かれれば首が飛ぶだろう。それでも口をついて出る言葉は本心だからだろうか。突き付けられた現実に気の遠くなるような絶望を感じる兵もいるようだが、ここまで圧倒的な差を見るといっそ笑みすら浮かんでくる。 持久戦を望んでいるのか、それとももっと別の何かか。曹操軍からの攻撃は一切なく、無言の圧力だけがかけられている。 その威圧感に押し負けそうになっている心を、魏続は否定しなかった。したところで意味がない。強がるだけで勝ち抜けるほど戦場は甘くないことも知っている。そして今、呂布に勝算がないことも。 呂布の下にいる軍師は徹底抗戦の構えを見せるだろう。愚かとも思えるほどに呂布の武を信じ切っている。例え天下に並ぶ者のない武を持っていたところで、呂布一人で何が出来るものか。配下の武将さえ気に掛けることが出来なくて何が天下だと鼻で笑いたくなる。 もう心はここにないのだろう。 気づいていたが認めなかったことを、受け入れようとしている。ただそれだけだった。 「・・・おっせぇ」 呟いたのは、がんがんと気遣いの欠片も見せずに石段を力一杯登ってくる音が聞こえたからだった。呼び出した時刻は随分と過ぎているが、彼の体調を考えればそれもまた仕方のないことと、呟いた声だけに怒りを込めて魏続はやってきた侯成を振り返った。もちろん、遅れた事への怒りなど見せない。 「悪りぃ、遅くなった」 「何だよ謝んのか?珍しい」 「悪いと思ったら謝るのは当然だろうが」 「じゃあテメエ、今までの悪事にゃ自覚なしか」 「掘り返すな」 言い合って笑ってはいるが、侯成は本来ならこうして歩いてなどいられないはずだった。 先日受けた呂布からの処罰で起きあがれなくなった時は、さすがの侯成ももう終わりではないかと冷や汗をかいたものだ。今までにも幾度か呂布が部下を殺すことはあったが、この状況下でそれが起こるとは思ってもみなかった。幸いにも侯成は復帰を遂げ、多少困難はあるにしろ普通に生活する分には不自由はない。 兵士としての生活は送れないけれど。 「完治するまで無理すんなよ。二度と剣が握れないとか、冗談じゃねえからな」 「分かってるって。そんなに弱かないぜ」 「どうだか」 溜め息混じりにそう言って、魏続は体ごと城の外へと体制を変えた。城壁に肘をつくようにして眺めれば、冷たい雪の中で動く曹操の陣営は案外はっきりと見て取れる。それだけ近いということだ。 「また近付いたか?」 「錯覚じゃねえの」 隣にやってきた侯成にそう返すと、そうかと短く返答があった。錯覚ではない。近くなっている。それと同時に兵士の数が減ったようにも感じるのは、裏で何か工作が仕掛けられているのだろうか。どちらにしろ籠城を決めた時から負け色が濃くなったのは確かだ。陳珪、陳登の親子が曹操と通じているという噂はやはり本当だったのだろうか。 「魏続、戦うのか」 「あん?」 「どうする。お前あれと戦うのか」 「言ってる意味が分かんねえよ」 唐突に投げられた質問に視線を向ければ、思った以上に真剣な眼差しを向けられていた。曹操と戦うつもりなのか。そう彼が問いかけたことより、すぐにそうだと返答出来なかった自分に戸惑う。 受け入れるべき気持ちが、じわりと呂布軍の魏続を締め付ける。 曹操に降る。 つまりはそういうことなのだろう。自分が心のどこかで考えていたこと。今、侯成がはっきりと感じていること。 「そこまで呂布に尽くす義理があるか」 「義理なんざ誰にも感じたことはないな」 どこで誰が聞いているか分からないこの場所で、こんな会話は危険だろうか。けれど今更そんなことを構ってなどいられない。侯成に無理をさせてでもこの城塔に呼んだのは、膠着状態に見えるこの戦の真実を目にしたかったからだ。自分も、そして侯成にも見せたかった。ふたりなら引っかかり続けた何かを吹っ切ることが出来るのかもしれないなど、何故思ったのか。 「なあ侯成」 視線を再び城下に降ろして、魏続は組んだ手に顎を乗せた。乾いた風は冷たいはずが、何故か心地良い。 「負けることと死ぬことは違うってな。生きてるから負けたと分かるんだとよ。死んじまったら負けたなんて思う間もなく意識は消える」 「・・・・で?」 「死ぬのと負けるの、どっちがいい」 他人事のように、謳うかのように。思った以上に軽やかな声が風に乗った。 「俺はな・・・」 多少戸惑った侯成の声が聞こえる。 「お前の言ってること分からん。難しくて」 「テメエは本物の馬鹿か」 「馬鹿でいい。死にたくないし、負けたくない」 「ふーん」 「俺たちは戦うために戦場に来てる。ってことは、戦えなくなったら負けだ。負けなのか死ぬのかは知らん」 必死に言葉を探しているようではあったが、自分でも上手くまとまらないのだろう。たどたどしく発される言葉はそれでも、真っ直ぐに魏続の耳に届く。彼の心ごと、純粋にただ真っ直ぐ。 「だから戦わなかったら負けじゃない。逃げることは負けじゃないし、主を変えることだって負けじゃないと思う」 「変えるって?」 「仕えるべき主を己で決めるのが乱世の掟。とかなんとか、陳宮の野郎が言ってやがった。やっぱり意味は分かんねえけど、呂布より曹操がいい、ってことは分かる」 「へえ」 自然と口元に笑みが浮かぶのを自覚して、魏続はふっと顔を起こした。まだこちらを向いたままだった侯成の後ろ首を捕らえ、引き寄せる。 至近距離の黒い瞳が戸惑いに揺れるのを見て取って、面白そうに魏続の赤い瞳が細められた。 「悪くないね」 囁くように注ぎ込む。自分の気持ちごと、全てを。 「行くとこまで行っちまおうか」 「そ、曹操のところか」 「他にどこへ行く?」 笑みを含んで問いかければ答える術を相手は持たない。 馬鹿だ馬鹿だと繰り返しても、その中にある違う気持ちにも気が付いている。 本当の馬鹿なら御免被るが、この手の馬鹿は嫌いじゃない。 そう思って低く笑い出す魏続に引き寄せられたまま侯成は未だ言葉を持たず、困り切った顔でただ、この姿勢では節が痛むなどと呟いていた。 「痛みが感じられるって事は生きてんな」 「当たり前だろが」 「痛みも感じない所では生きてる意味がない。お前の側にいるだけで俺は痛くて仕方ねえよ」 「・・・・どういう意味だ。どこが痛い?怪我でもしたか?」 「ああ、やっぱお前馬鹿だ」 手を放して笑い転げる。意味を解さない侯成はきょとんと魏続を見守るだけだ。 「嫌な痛みじゃねえな。気色悪いが」 「はぁ?」 「あー、お前の顔」 「んだとぉ?!」 怒ろうとはしたものの気持ちに体がついてこなかった侯成が、姿勢を崩して蹲る。自分が思っている以上にまだ体は回復していない。 「無理すんなっつったそばからそれかよ。情けねえな」 「誰のせいだと思ってやがる」 「自業自得だろ」 見下ろしてふんっと吐き捨てれば言い返せずに呻く。それがまた魏続の笑いを誘った。 「仕方ねえから治るまで俺が面倒見てやる」 「いらんわ」 「遠慮すんなって」 しゃがみ込んで視線を侯成に合わせる。相変わらず面白そうに細められたままの魏続の目は、その内に真剣な光を宿して声を潜めた。 「で、治ったら曹操んとこ行こうぜ。宋憲も一緒だ」 「降るってことか・・・曹操への手土産は?」 「言えるわけねえだろ」 侯成は本人が難しいという言葉は理解しない割に、こういった人の心を理解することは上手い。魏続の言葉に含むものを汲み取ったのか、彼もまた薄く笑みを見せた。 「楽しそうじゃないか」 「だろ」 魏続が先に立って手を差し出すと、それに掴まって侯成もまた立ち上がる。 「楽しみといえばもうひとつ」 立ち上がったまま手を放さず、それどころか少し力を強めた侯成は鬱陶しいほどの真っ新な心を晒して笑いかけてくる。 「お前の看病ってやつ」 「・・・・何を想像してやがる」 「別に何も。何してくれんのかと思って」 「ついでに頭鍛えてやるよ」 「止め刺すつもりか?!」 本気で嫌そうな顔をした侯成にやっぱり馬鹿だと呟いて、魏続は城塔を降りた。 侯成の手を引いたまま。この手は軍を出ても放さないと心に決めて。
絡めたくて
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大好きサイトさま、「ほやほや日和」の赤月さんからの戴き物です…!
読ませていただいた時の私の狂喜乱舞っぷりが自分で恐ろしかったです…!
私この二人書いて良かった…!とマジで思っております…!
魏続がオトコマエ過ぎて惚れます、ホント!!
がっつり悶えさせていただきました…!仲良い二人が可愛いです!
二人にはずっと仲良くいて欲しいなぁ…。
本当にありがとうございました…!